カビのふしぎ〈調べよう〉
カビのふしぎ〈実験しよう〉
 
全2巻
細矢剛/監修・写真
伊沢尚子/著
汐文社
2012年7月25日(実験しよう)
2012年9月(調べよう)発行
270×215ミリ、各60ページ
定価 各3,465円
(本体各3,300円+税)

〈カビのふしぎ 調べよう編:本文〉
〈カビのふしぎ 実験しよう編:本文〉
 「カビ図鑑」(細矢剛ほか著、全国農村教育協会刊)という本が2010年に刊行され、しばらくして自然観察大学の室内講習会で細矢さんのお話を聞いた。これらはカビについての再発見ということで大きな反響があった。その講座などを格別に受け止め、カビの虜のようになってこの本を作り上げたのが、著者の伊沢尚子さんである。
参考:2010-11年度 第二回室内講習会 「カビライフ入門 -カビのくらしと形-」
 伊沢さんはサイエンスライターとしての実績はあるがカビの専門家ではない。監修者でもある国立科学博物館の細矢剛さんに、カビのように密着しながら勉強し、しかもすべて自分で観察、実験をして、カビというものを子どもたちが親しんでくれるように作り上げた。それで本は「調べよう」と「実験しよう」の2冊から構成されている。これを2年間でまとめ上げたというのは驚きである。
 子ども対象の本として表現もレイアウトも工夫が凝らされているが、内容はまさに大人の知識書といえる。カビに疎い私などはこの本によって知り得ることが随所にある。ヒトはカビに囲まれてくらし、カビなしには生きていけないことも改めて考えさせられる。
 「調べよう」編では、どこにでも生えるカビ、食べものを腐らせるカビ、おいしくするカビ、病気をひきおこすカビ、治すカビなど、直接ヒトと関わるカビについて身近な例を使いわかりやすく述べている。そして野外のいたるところ(たとえば落ち葉、土の上、動物のフンなど)にいるカビに目を向け、それらが自然界の生きもののつながりあいの歯車になっていることを強調している。
 「腐生」「寄生」「共生」という用語を使ってそれぞれのカビの立場を述べている。このあたりが著者の力の入れどころかと感じられる。カビの多くは「腐生」のくらしをしている。「腐生」とは「自分の栄養とするため死んだものを腐らせる」と説明されているが、腐らせるとはどいうことかをもう少し踏み込んでもらえるとよかった。「腐生」の語は古くからあるが、教科書などでも適切な意味で普及してこなかったように思われる。
 「実験しよう」編では、「カビをつかまえる」「野外でカビをさがす」「店でカビを買う」「カビを植える」という項目が並んでいる。店で買うカビとは、カツオブシ、べったら漬け、味噌、醤油、カマンベールチーズなどだ。実験は誰もがこれならできそうだと思える内容である。どれもみな著者が実際に試し記録したことだという。その中にもあるが、かつて私もスルメを使ってミズカビ釣りをやったことがある。また恩師から糞生菌の話をきいたこともある。なかば懐かしい思いで頁を眺めた。またコウジカビを育て甘酒をつくる、そしてデンプンが糖にかわることをたしかめるといった実験もあって幅広い。さらにはカビをめぐる多角的なコラムが載っている。
 学校の教科書にはカビを取り上げていることは少ないが、この本は子どもたちの目につくところに置きたい。カビを使った科学する楽しさを教えてくれる本である。
 なお、伊沢尚子さんは自然観察大学のNPO会員である。
自然観察大学 名誉学長 岩瀬徹

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救荒雑草
 飢えを救った雑草たち
佐合隆一/著
全国農村教育協会
A5判 192頁
定価:1,890円(本体1,800円)
出版社からの紹介: http://www.zennokyo.co.jp/book/kagak/q_z.html

目 次
1. 栽培植物とは
2. 現在の野菜と雑草
3. 安全な食べ物
4. 救荒植物研究の歴史
5. 救荒植物種の特徴
6. 救荒植物を知ることの意義
7.
救荒植物の食べ方
(1)採取植物のアク抜き
(2)お浸し
(3)生野菜
(4)煮物
(5)油炒め
(6)その他の料理
(7) 主食物代用
(8)間食代用
8. 救荒植物の食品成分組成
9.
草種別の解説
■シダ植物
■単子葉植物
■双子葉植物
飢餓年譜
   
  コラム
  【クズの利用法あれこれ】
  【キキョウの林間栽培】
 終戦直後(というのは1945年からしばらくの間)、人々はその日をいかに食いつなぐかが最大の課題であった。どこでどのようにして口に入るものを手に入れ、どう食べたかが挨拶代わりの会話であった。ある親戚の家を訪ねたさい、廊下にびっしりと海藻が干してあった。海岸へ行って打ち上げられた海藻を拾い集め、食べられそうなものを持ち帰った。これらをお粥に混ぜるとそれだけ腹が膨らむということだった。
 このときの海藻はまさに「救荒植物」であった。本書には海藻は触れられていないが、穀類の代用品で「増量」するという言葉がでてくる。海藻で増量したわけである。
 それから数十年、飽食の時代といわれるようになり、食べ物を生きもの(植物や動物)としてとらえる意識は希薄となった。しかし人間は幾たびかの「飢え」の時代を乗り切ってきたから現在がある。そこには多くの先人たちの「救荒植物」についての知恵と経験が大きな役割を果たしてきた。その遺産はしだいに消えようとしているが、今のうちに文献を発掘し広く知ってほしいという思いから本書がつくられたという。
 著者は茨城大学農学部の教授で、雑草学や作物生産技術学などの専門家である。雑草については格別の思い入れがあり、本書も敢えて「救荒雑草」というタイトルになった。
 本書は、前半に“栽培植物とは”“現在の野菜と雑草”“救荒植物研究の歴史”“救荒植物を知ることの意義”“救荒植物の食べ方”などが述べられ、次いで草種270余種(シダ植物、単子葉植物、双子葉植物)についてそれぞれの概要、食べ方、効用などが記されている。ただし文献の紹介が主眼なので、必ずしも著者や協力者が試食しているわけではないという。口絵として全種の写真が載っている。 
 草種をみるとまことに多彩である。ノビルやナズナ、ハコベなどはおなじみとしても、エノコログサ、スズメノテッポウ、ツユクサ、シバ、スズメノエンドウ、コウゾリナなどと並ぶと「へー」という思いがする。どの部分をいつごろ、どのように食べるかが記されている。これを知っておくと、不測の天災、人災に襲われても自分だけは生き延びることができそうだ、と思ってしまう。
 観察会などでよく「これ食べられますか」と聞かれることがある。食べられるということは人間の大きな関心事である。それをポイントにしながら観察を深めるということもできるであろう。「飢え」からは縁遠くなっているとしても、自然に触れる材料として「救荒雑草」が活用できるであろう。
 終わりに個人的な要望を付記させてもらうと、各草種の概説の中に現在的な状況にも触れてほしかった。雑草といっても普遍的に生育するものもあるし、局所的なものもある。中には現在は希少となったものも含まれている。また、文献の記載の紹介が本書の主眼ではあるが、現在の視点からその中身に疑問があるものには、(注)を付記してほしかった。もちろんそれ的なものは各所にあるが、なおいくつかが気になった。たとえば、キクイモでは、塊根を取り出してでん粉をとると紹介されているが、塊根は塊茎であろうし果たしてでん粉であったか。シロザでは、アオアカザ、ヤナギアカザ、ウラジロアカザなどが並記されているが、それらが種名か品種名か俗名か読む側は少し戸惑う。
自然観察大学 名誉学長 岩瀬 徹
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佐合隆一著 「救荒雑草」を読んで
 著者 佐合隆一氏は自然観察大学の農場観察会で講師をされたこともある方です。観察会に参加された皆さまは、著者自身の観察、調査、実験に基づく、稲や水田雑草ついて
のわかりやすいお話を覚えていらっしゃることと思います。今まで、よく知っていると思っていた稲や雑草の説明を聞いて、驚きを覚えられた方も多いことと思います。
 作物学と雑草学の研究者である著者は、数年前に、「イネ・米・ごはん」(全国農村教育協会)という著書を執筆されています。このときは、現在の日本で、米の消費量が減っていることを残念に思い、主食としての米のよさを見直してほしいとの思いから書かれました。この著書はタイトルのように、稲作りから米の調理法まで、米についてのすべてがまとめられており、著者の、米についてよく知ってほしいという思いが込められています。飽食の時代の米に続く食べ物として考えられたのが、救荒時の食べ物のことだそうです。食べ物に困ることのない今だからこそ、救荒時のことを考えてほしいと「救荒雑草」の執筆を思い立ったそうです。
 そのような思いがこめられたこの本を手にして、まず、題字「救荒雑草」の書に気迫を感じました。著者が「題字はこの書にしたかった」ということばを思い出して、なるほどと思いました。でも、「救荒雑草」とは聞き慣れないことばです。救荒作物、救荒植物ということばは今までに聞いたことがありますが。「はじめに」の説明を読んで、この疑問は解決しました。さらに、この書は「食に対して危機感を持ちなさい」という警告を発しているように見えます。でもよく見ると、文字の背景にはかわいい花をつけたクズ、ホタルブクロ、ガガイモとエノコログサの穂、裏表紙にはミゾソバ、コハコベ、クルマバナ、ホタルブクロの花とアワの穂、身近な雑草に関心を持ってほしいとの著者の願いが込められているように感じます。
 本文に入る前の口絵には救荒雑草252種の写真が掲載されています。一般的な食材図鑑とは少し様子が異なり、植物図鑑を見るようです。
 田舎育ちの私は、身近にある山菜を摘んで食べた経験がありますので、この写真を見ながら、食べたことのある雑草(野菜として栽培されているものを含む)を数えて
みました。その結果、ワラビ、ゼンマイ、スギナ(ツクシ)、クワイ、アワ、ヒエ、カタクリ、ギボウシ、ウワバミソウ、ハコベ、ジュンサイ、ユキノシタ、ウド、セリ、
エゴマ、シソ、ゴマ、ヨモギ、タンポポ、ゴボウ、シュンギク、フキの22種あることがわかりました。252種取り上げられていますので、1割弱の雑草を食べた経験があることになります。しかし、雑草を食べた経験は多い方だと思っていたのに、ちょっとがっかりです。食べ物に困ることのない今のような日本で、このような雑草を食べるには、それなりの努力が必要だということを知りました。
 「救荒植物研究の歴史」で述べられているように、救荒作物や救荒植物については大飢饉などのあとに、なんとか人々を救わなければとの思いから書かれてきました。そのことで、多くの人々が救われてきたことと思います。
 救荒作物としてはサツマイモが有名です。江戸時代に芋神さまと呼ばれていた青木昆陽とサツマイモの話を思い出します。私の勤務地であった千葉市幕張町には昆陽神社が
建立され、甘藷試作地の地碑が建てられています。和菓子屋さんの店先にはサツマイモを使ったお菓子が並べられ、職場ではときどきだれかがこれらのお菓子を買ってきて
くれて、青木昆陽の話をしながら、おいしくいただいたものです。JR総武線幕張駅の床にはサツマイモをデザインしたタイルが張られています。また、地元の学校では校歌
などにも歌われています。飽食の時代といわれる現在では想像もできませんが、救荒作物としてのサツマイモの存在は非常に大きかったことがわかります。そして、今でも
その気持ちを大切に受け継いでいる地域の皆さんに感心してしまいます。
 現在、特に、日本においては、「救荒」ということなど真剣に考える状況ではないかもしれません。しかし、本文でも取り上げられているように、1996年の阪神大震災、
さらに、2011年の東日本大震災を経験して、災害時の備えとして、救荒植物の必要性を感じている人々も増えていることと思います。今こそ、考える時期なのかもしれません。
 「救荒植物を知ることの意義」の中で、「子供の頃から身近な植物で食用の可否を知り、日常的に食用にする機会を増やす教育の必要性を感じるものである。」と述べられているように、災害時に実践できる知識は一朝一夕には得られません。長い時間をかけて習得されるものだと思います。
 この本では救荒雑草それぞれの特徴、食べ方、栄養成分についても記載されています。食べ方を見ると、今の野菜の調理の仕方よりも手間がかかったことがわかります。
食べやすく改良された野菜と異なり、雑草を食べるにはいろいろな工夫が必要だったことでしょう。また、栄養成分については、つくし(スギナ)、ヨモギ、ノビルなどは
多くの栄養成分を含んでいるようです。著者が「はじめに」の中で述べているように、成分などについては現在の知識とは多少異なる記載も見られるようです。実践する
際には、特に毒性のある成分については考慮が必要です。
 第一歩として、この本を見ながら、「救荒雑草を食べる会」を親子で楽しむなんていかがですか。
自然観察大学 講師 飯島和子

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狩蜂生態図鑑
  −ハンティング行動を写真で解く−
田仲義弘 著
全国農村教育協会
2012年9月19日発行
B5判 192ページ
定価(本体2,500円+税)
出版社からの紹介: http://www.zennokyo.co.jp/book/musi/kbch.html

 我々の生活する地球には、名前のついているものだけでも、200万種類以上の生物が棲んでいて、未発見のものを含めるとその10倍はいるとされる。さらに驚くことは、その200万種類の生物の半数以上が昆虫である。そんな昆虫の中で、種類数が一番多いのが甲虫類で、それに次ぐグループの一つがハチやアリの仲間(ハチ目)である。
 世の中の昆虫ファンにとって良い図鑑は、まさにバイブルといえるが、我が国の甲虫屋さんには、例えば『原色日本甲虫図鑑』がある。しかし、優れたハチの図鑑は残念ながら現在ほとんどなく、今回、田仲氏の出された『狩蜂生態図鑑』は、このような事情からも、まさに待望の一冊といえる。本邦産ハチ類5000種弱のうち狩蜂は約1000種、その狩蜂の5分の1、約220種が、見事で貴重な生態写真と共に紹介されている。
 「序章 狩蜂は母!」で狩蜂というハチの特徴を簡潔に紹介してから、「1章 狩蜂の生活」で狩蜂の生活や行動の進化について解説している。行動の進化についての部分を読むと、私はどうしてもファーブルのことを考えてしまう。ご存知のように、彼は『昆虫記』で狩蜂を含めて、様々な昆虫の生態や本能の見事さを私たちに伝えている。この本がきっかけで昆虫が好きになった方も多いのではないか。しかし皮肉にも、彼は狩蜂についての観察結果を論拠に、同時代の博物学者ダーウィンの進化論に対して痛烈な批判をおこなう。『昆虫記』に少なからず影響を受け、ずっと昆虫の進化について研究している私にとって、いささか複雑な思いではあるが、改めて田仲氏が述べる“ハチたちの進化”を読むと、素直に納得してしまうのである。
 「2章 ハチ図鑑」では200種以上の狩蜂が掲載されている。もちろん生態等についての解説は、自身の観察に基づいた確かなものだが、なんといっても圧倒されるのは、その生態写真の素晴らしさである。少しでも昆虫の写真を撮ったことがある方ならわかるだろうが、ホバーリングしながら空中麻酔をしている、体長数mmのハチにピントをあわせて写真が撮れること自体がミラクルである。さらに、「3章 狩蜂観察のコツ」で著者は、40年を超える狩蜂観察人生で得た“観察のコツ”を惜しげもなく我々に教えてくれる。一人でも多くの人に観察の楽しさを知ってもらい、まだまだ謎に満ちた狩蜂の生態を解明する人材を育てようとする、田仲氏の思いが垣間見える気がする。
 最後になったが、田仲氏との付き合いは私が大学に入った時から始まる。入学当時、全くの昆虫初心者だった私に、虫について様々なことを興味深く教えてくれたのが氏であった。その時から今も変わらず、田仲氏は土埃で汚れたカメラを片手に、時に1時間以上も地面に這いつくばって、尽きない情熱をもって小さな恋人を観察し続ける。その姿が本書の「撮影メモ」や「コラム」の中に見えるような気がして、いまだに追いつけない師匠だと思った。
自然観察大学講師 鈴木信夫
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農場の観察会の終了後に、完成したばかりの田仲先生の「狩蜂生態図鑑」を買いました。読んでみて感動しました。素晴らしい内容です。
長い間フィールドで蜂の名前がわかる図鑑が欲しいと思っていましたが、狩り蜂生態図鑑はそんな期待に答えてくれる最良の本だと思います。
本を開くと、随所に生態的に貴重なシーンを捉えた鮮明な写真が惜しげもなく散りばめられていて、眺めているだけで楽しい時間が過ごせます。
写真を撮った時の苦労話も紹介されており、一枚一枚の写真を撮るために費やした著者の情熱と根気がひしひしと伝わってきて、野山で一緒に観察しているよう気分になってしまいます。
また、この本は図鑑として優れているばかりでなく、読み物としても非常に面白く、数多くのエピソードが著者の長年に渡る観察から、生き生きと描かれていて、まさに写真版ファーブル昆虫記です。
徘徊性のクモを狩る蜂がクモの引いた糸を見つけて急いで追いかける話などは映像が頭に浮かんできて、想像力と好奇心が鷲掴みにされます。
とにかく情報量が多く、読んでいて飽きがこないです。
秋の夜長に虫の声を聞きながらじっくり眺めて楽しんでいます。
自然観察大学 会員 寿原淑郎
………………………………………………………
狩蜂の魅力を活写した生態図鑑
 評者はこれまで何回も田仲先生の蜂の話を伺い、野外観察会でも蜂の生態を解説していただいた。そのつど行動や生態について分かった気分になっていた。しかし、今回出版された『狩蜂生態図鑑』により、狩蜂の生態やその魅力、あるいは狩蜂の全体像がすっきりと理解できたような気がする。
 本書でまず目を見張るのは、素晴らしい写真の数々である。狩蜂では最小といわれる体長2.5〜3mmのツヤエナシエンモンバチが獲物を捕獲し、巣に運搬するシーンは目を見張るばかりだ。シロシタイスカバチ(体長5〜8mm)の狩猟行動に至っては、アブラムシを捕獲し、ホバリングしつつ獲物を持ち替え、一瞬にしてターゲットの腹胸部の神経節に針を刺して麻酔し、巣へと運搬する。その一連の行動を余すことなく活写している。
 どのページも、感動的な写真で溢れている。つい写真にみとれてしまうのだが、本書の特徴は、むしろ写真の「解説」「配列」にあるように思う。狩蜂がなぜ狩りをするのか、また、腰がくびれているのは何故なのか、といった基本的な説明を序章で行い、続く1章で、狩蜂の実像に迫っていく。どこに生息し、いかに職人技の狩りを行うか。また、どんな獲物をどのように捕獲し、どのように巣に運搬するか等々を写真で示しつつ、いつの間にか、昆虫たちの「進化の世界」に読者を導いてくれる。捕らえた獲物の運搬方法、内部寄生から外部寄生をへて狩蜂へ、あるいは孤独性狩蜂から社会性狩蜂へ等々、蜂たちが進化してきた姿が実によく分かる。ただし、進化に関して著者の態度はとても慎重であり、独断や偏見がまったくみられない。著者自身の徹底した観察結果にもとづき、ごく自然に進化の道筋に触れているのだ。
 2章「ハチ図鑑」は、宝石のように美しいセイボウからカマバチ、アリバチ、クモバチ(かつてのベッコウバチ)、ドロバチ、アシナガバチ、スズメバチなど、約220種類に及ぶ蜂の生態写真を掲載している。そのどの種を取り上げても、フィールドで話題になるものばかりだ。例えば、ゴキブリを捕獲するサトセナガアナバチ(p.98)である。南方起源で、本州では静岡県以西に分布していたが、最近都内でも観察されたという。ソメイヨシノやイチョウなどの大きな木の穴にひそむクロゴキブリの幼虫を狩るのだが、「冷暗な穴の中に飛び込む前に日光で体温を上げてから穴に入る。そのため日光浴をしているのをよく見かける」という記載が興味深い。日光浴中の蜂をぜひ観察してみたくなる。
 サトセナガアナバチの記載はこれに留まらない。ゴキブリに対する麻酔は絶妙である。蜂がゴキブリの触角を引っ張り、巣に運ぼうとすると、ゴキブリは素直に歩いてついていくというのだ。しかも、撮影場所はけっして特殊な場所ではなく、都心の小石川植物園(文京区)である。自然観察大学では、身近な動植物を注意深く観察することをモットーにしてきたが、蜂もまた身近な昆虫であることを教えてくれる。3章「狩蜂観察のコツ」の中で、「ホームフィールド」を持つことを提唱しているが、どの生物の世界にも共通しており説得力がある。
 本書は、蜂や昆虫の専門家にとって必読書である。と同時に、読み物としても興味深い書であり、狩蜂に狩られる生物(クモやバッタ等々)の視点からみても十分に読み応えがある。また、野外観察会のテキストとして話題満載であり、学校の教師や野外観察会の指導者にとっても待望の書といえよう。
著者は高校時代に狩蜂の魅力に出会い、以来40数年、蜂を中心に研究と生態撮影に情熱を注ぎ、ここに一冊の著書として結晶化した。自然観察大学にとってもかけがえのない財産が誕生したことになる。自然を愛する同好の志に一読を薦めたい。
自然観察大学 学長 唐沢孝一

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都会でできる自然観察
  [動物編]
唐沢孝一 著
明治書院学びやぶっく
2012年7月20日 発行
190×130mm、178ページ
定価 1,260円(本体1,200円)
出版社からの紹介: http://www.meijishoin.co.jp/book/b102615.html

 7月のある日、都心の雑草を見ようと日比谷公園を歩いた。心字池のそばの木陰にネコがのんびりしていた。帰宅したその日に唐沢さんの新著「都会でできる自然観察」が届いた。早速ページを繰っていくと、心字池のまわりに常駐(?)するノラネコのことが書かれていた。カルガモなどが岸辺に寄るのを辛抱強く待っているという。そんなハンターのネコだったのか、今度公園に行ったらネコもカモもよく見てみよう、この本がそんな気持ちを持たせてくれた。
 唐沢さんはよく知られた鳥の研究者である。とくに都市にくらす野鳥の生態について長年目を向けてきた。しかし鳥オンリーというのではなく、広く生きものについて、ちょっとした仕草が気になり、丹念に観察し記録をしてきた。この本でも、たとえばクモ、チョウ、トンボ、メダカ、カメ、コウモリ、タヌキなどと幅広い。それらが紙面に簡潔に、溢れるように述べられている。「都会でできる」というのが題名だが、それはむしろ「都会だからできる」という意味が込められているのではなかろうか。
 それぞれのテーマには主役がいるが、脇役も固められている。つまりいっしょにくらす生きものや植物のことも忘れていない。もちろんその中には人間も含まれる。
 第1章に「桜花を千切るスズメ」という話がある。最近よく見かけることだが、スズメがサクラの花のがく筒あたりを千切り蜜を吸っては落とすという動作である。これはサクラにとっては利益はないので、吸蜜というより盗蜜という方が適切であろうと述べている。それで考えさせられたが、桜花の大半はソメイヨシノであろうからほとんど実を結ばない。盗蜜されてもあまり困らないであろう。花を落とされて嫌と思うのは人間だけかもしれない。
 第5章はクモのくらしを取り上げている。皇居北の丸公園の一角にある清水門の周りには古い石垣や土手があり、野草の生き残るところとして見ていたが、唐沢さんはここでヒラタグモの観察を楽しんでいる。そうと知ればまたすぐにでも行ってみたくもなる。
 第7章は「唐沢流自然観察、10の法則」というので締めくくられている。法則というのは少々固いが、これまでの積み重ねから得たことを、自然観察の視点から整理したものである。観察は感察でありたい、と述べるあたりが唐沢流かと思わせる。
 本でも触れられているが、われわれ自然観察大学の観察会では、専門分野の異なる多くの講師がいっしょにフィールドを歩く。それぞれの視点が重なり合って生きもののくらしが浮かび上がる。これを長年続けているが、そこでいつも話し合われていることもこの本にうまく表現されている。文章はもちろん熟練の技を思わせる。
自然観察大学 名誉学長 岩瀬 徹

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磯の鳥・生態小図鑑
-南房総の鳥と自然-
唐沢孝一 著
カラサワールド自然基金
2012年1月31日 発行
170×180mm、48ページ
頒価 1,000円
申込先:カラサワールド  http://www.zkk.ne.jp/~karasawa/u-bird.html

 サブタイトルに「南房総の鳥と自然」と書かれているように、この本は著者の2005年から2011年にかけて房総半島の鴨川市の磯で記録した鳥の写真を用いて、代表的な磯の鳥を紹介している。
 第一章は「磯でくらす鳥」で、その鳥の暮らしぶりを、環境と共に見事な写真で紹介している。大荒れの海を見つめるミサゴ(本文p15)は、すっとミサゴの気持ちに引き込まれる写真である。海が荒れると漁師だけでなく、磯に暮らす鳥も漁ができなくなる。何日も空腹に絶え、海の荒ら波を見ながら、波が静まるのを祈りの気持ちで、ただじっと待っている気持ちが伝わってくる。波しぶきの奥にわずかに人の住む家がぼんやり見える。そこから漁師の願いも伝わってくる。
 第二章は「磯にやってくる鳥」で、予想もしなかった鳥の出会いを紹介している。2010年3月21日に撮影したヤマショウビン(p22)は、千葉県で2番目の記録となる貴重な写真である。7年間に渡って丁寧に調べた成果である。またカワセミが紹介されているが(p20)、海に飛び込んでカワセミが魚をとるのには驚かされる。かつて清流の鳥といわれたカワセミが、今や至る所に進出して身近な鳥になった。適応範囲が広いのだろう。日本で絶滅したといわれているカワウソも、朝鮮半島では海で生活しているという。カワセミのコバルトブルーの色は、海の色に溶け込み目立たず、捕食者から免れるのに役立っているのだろう。
 第三章は「漁港や岩礁の鳥」で、水揚げされた魚のおこぼれや、いけ簀の魚を狙うカモメ類やサギなどと共に、漁港に営巣するコシアカツバメやヒメアマツバメが紹介されている。漁港は鳥と人の繋がりの接点である。魚のおこぼれを狙う鳥たちの争いを身近に観察できる。また漁港の建物にはとっくり形の巣をしたコシアカツバメ(P46)や巣から羽毛がはみ出しているヒメアマツバメの巣(P47)が見られる。他の場所では見られないこれらの貴重な鳥の営巣場所として、漁港の建物とツバメ類の巣の共存が続くことの著者の願いを感じる。岩礁の雪景色と思ったら、ウミウなどの水鳥の糞が堆積したものだ(p44)。岩礁は水鳥にとって、大事な休み場所となっている。
 月一回のペースで7年間かけて記録されたこの小図鑑の写真は、そのまま著者の鳥を見るゆったりとした暖かい視線を感じる。生命のふるさとの海を眺めながら、打ち寄せる進化の音に耳を傾け、研究者の眼で磯の鳥たちの生き様の貴重なドラマを撮影し書かれた本である。
 なお本書はカラサワールド自然基金より出版された。
自然観察大学副学長 浅間 茂
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もし、書名に付け加えてよいならば
「唐沢先生といっしょに観察しよう磯の鳥!」
 カラサワワールド自然基金による「磯の鳥・生態小図鑑」が発刊された。野鳥に関しては、街の書店を見ても野山・高山・水辺の鳥といった範囲での本や図鑑は並んでいるが、磯の鳥に焦点を当てた本はなかなか見つからない。貴重な本である。
 書名が本書の内容をずばり示している。つまり、磯というフィールドで出会える鳥の生活している姿(生態)に焦点を当て、読みやすくまとめた小さな(けれども中身の濃い)図鑑なのである。
 自然観察大学の学長であり、講師のお一人でもある唐沢先生の話を私も観察会や室内講習等で拝聴しているが、本書を読んでいると、今、実際に唐沢先生といっしょに磯に出向き、フィールドを歩き回っているような錯覚にとらわれる。ページをめくりながら写真を見たり、解説を読んだりしているうちに、テレビドラマにときどき登場するような音響効果〜役者が読み始めた手紙の声が、だんだんと書いた人の声にオーバーラップし移り変わっていく場面〜のように、耳の奥で「あれは海セミです。」などとユーモアあふれる唐沢先生の声が響き始める。それぐらい楽しく親しみやすい文章であり、もし、書名に付け加えてもよいならば「唐沢先生といっしょに観察しよう磯の鳥!」なのである。
 次々と目の前に起こる鳥の生身の生態を実際に目にしながら、房総の磯を回り、そして、最後のページを読み終えたときに、1日たっぷり観察してきた満足感と心地よさを味わえる。(もちろん、この本の作成のために、唐沢先生は7年もの歳月を費やしたご苦労があるのだが。)
 第氈E章では、磯の自然に生きる鳥の生態に紹介されているが、それに続く第。章では漁港に場を移し、鳥と人の生活とのかかわりに目を向け、伝えているところもおもしろい。小学5年生の社会科では、漁業にたずさわる人々の生活について学ぶが、単元のねらいをみても、もちろんこうした鳥とのかかわりあいは出てこない。しかし、生き物どうしのかかわりといった環境教育の観点からみれば、漁港で繰り広げられる人と水鳥たちとのつながりに触れることも、これまた大切なのではないかと本書を通じて感じた。
 ときに、海から離れて暮らしている人にとっては、磯というと何か見たこともない鳥たちばかりが生息するような特別な環境の場を思い描く。もちろん、磯だからこそ生活できる鳥は多いし、本書にもその生態が多く紹介されている。
 しかし、本書には東京都市部でもなじみのあるハクセキレイやサギ類、カイツブリ、コシアカツバメなどもまた、登場してくる。馴染み深い鳥の名前を見つけたとき、私は、日頃の観察フィールドとの接点をそこに見つけ、少しほっとしたのだが、それと同時に、そうした鳥たちが、磯という環境の中にも生活の場を見つけ、必死に生きていることを知り、その適応能力に改めて驚かされたのである。
 本書の中で、もうひとつ目をひくのは、各ページに豊富に使われている写真の扱いのすばらしさである。こうした小図鑑であれば、たとえばハヤブサの紹介では、ハヤブサのアップした写真を1枚だけ掲載するのが普通である。ところが、本書は、左ページにハヤブサが岩の上で待つ写真、そして、右ページに磯の鳥を狙うハヤブサと、2枚の写真を連続して載せている。読者は、まず左の写真をみる。はじめは、大きな岩しか目に入らないだろう。ところが、よくみると岩の右角に鳥がいることを認める。これは、私たちが観察をするときの目の動線と同じなのではないだろうか。岩の上に何かいるぞ。そこに唐沢先生の声が飛び込んでくる。「あの岩の上に何かいるのが見えますか。」そこで、双眼鏡を取り出して見てみると、鳥を狙う眼をしたハヤブサが目に飛び込んでくる。こうしたワイドからテレ側に視点が移る写真編集の巧みさは、イワシに群がるアオサギのページなどにも認められる。
 本書の写真の素晴らしさはそれだけではない。厳しい磯の自然の中で必死に生きる鳥の様子を、いくら生態写真で説明できても、それが読者の心に突き刺さる強烈なものがなければ印象に残らないものである。その点、本書の写真は、ページをめくるたびにズシンと心に響いてくる。それはなぜか。
 写真の芸術的な描写性が高いからだと、私は見ている。たとえば、アオバトが押し寄せる波濤から逃れようとする場面の写真を見てほしい。岩を打ちつけ飛び上がる波しぶきの一粒一粒が高速シャッターを切ることで止まり、そのしぶきの中から必死に逃れようとする4羽のアオバトが写し出されている。これは、鳥の生態と写真の撮影技術両方を熟知しているからこそできる技であり、そこに感動が湧き起こる。同様にして、エサを奪い合うウミネコの写真もみごとな芸術ショットであると思う。
 本書は、磯の鳥の生態が一目でわかるリアルな生態写真と、感動を呼ぶ芸術写真の両方を味わうことができるこだわりをもった生態小図鑑なのである。
 2011年3月11日、ここ南房総も巨大地震に見舞われた。災害によって、その後の南房総の鳥たちの生活にどのような変化がもたらされたのか、とても気になるところである。
NPO法人自然観察大学 会員 坂部重敬

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くう・ねる・のぐそ

自然に「愛」のお返しを
 

伊沢正名 著
山と渓谷社
2008年12月25日発行
B6判 256ページ
(綴じ込み付録アリ)
定価1,575円(本体1,500円)
出版社の紹介:http://special.yamakei.co.jp/noguso/book.html
目 次
 一般的に言えば「食べる・寝る・トイレに行く」。
これは誰もが一生行う ごく普通の行為。けれどその中で“ウンコ”にふれるのはタブーのような風潮があり、「オシッコがしたい。」とは言えても「ウンコがしたい。」とは人前では言いにくい。なぜなのでしょう。
 そんな中、伊沢さんは正面からウンコとつきあっています。
この本を読んで、ウンコが自然界では大変役に立っていると知ってしまったら、トイレですることに罪の意識を感じてしまうようになり困りました。それでどうしたのかについては、ここでは内緒にしておきます。

 この本の影響か、森を歩いていても動物の糞が気になりだし、今まで写真に撮っていただけの糞も採って帰るようになり、昨年はクマの糞から季節により食べているものの違いがハッキリ見てとれ、糞溶きも楽しい仕事になりました。まぁクマの糞はイイ匂いのせいかもしれないけれど。臭いサルの糞でもハエは勿論、チョウや甲虫類が集まっているのをよく目にします。ことにスミナガシは超接写の距離でもお構いなしに舌鼓を打っていて幸せそう。(余談ですがヤマアカガエルのウンコは臭いです)
 本書の内容については細かく紹介できないけれど、タイトルに合わず、糞の分解過程の調査研究のまとめや、都心の交差点の植え込みも含む野外で “する” 時の努力には敬服します。
 タイトルで躊躇してしまう場合は、「9章:お尻で見る葉っぱ図鑑」から開いてください。私もこの部分はコピーをしてファイルしてあります。自然観察では視覚を使うことが多く、例えばシソ科や軟毛、粘着など触感を確認することはあっても、積極的に触ることは少ないように思います。ましてや冬、枯葉の感触の違いや丈夫さを知っている人はいないのではないでしょうか。観察会のひとネタにもなる内容ですので読まれて損はありません。

  自然観察大学では、講師の先生の専門分野から深いお話を聴くことが出来ますが、暮らしぶりも見ていくので、それぞれが深く関わりあって存在していることも学びます。ウンコもそこに関わり、多くの命を支えていること。またそれに生えるカビやキノコのイメージは汚く臭い。でも、実は自然界で分解者という大事なはたらきをし、その姿も美しいと理解するとイメージも変わります。
室内講習会「生態系の命をつなぐ菌類」伊沢正名先生
に参加される方へ
2012年2月26日の室内講習会に参加される皆様には、是非「くう・ねる・のぐそ」に目を通していただいてからの参加をお勧めします。そうすれば、何の抵抗もなく、自然に伊沢先生の世界に入ることができ、きっとお話の内容も胸に落ちることでしょう。
美しい菌類の写真とお話、そして自然への深い愛情をお持ちの伊沢正名先生の世界にどっぷり漬かれる楽しい時間を楽しみにしています。はたして私も糞土師(子)に近づくことが出来るでしょうか…
自然観察大学 学生 小椋緑

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